2010年08月16日
アメリカの住宅を見てきた・・・41
前にも書いたことであるが、ビバリーヒルズの住宅街の視察の後は、集合時間に遅れた。申し訳ないことである。しかし、やはり自分にとってはこの時間が研修旅行の最高地点であった。ただし、そんなことは実際の時間の中では気づかない。とにかく、記憶に留めながらひたすらシャッターを押していた。
詫びる気持ちと同時に、その余韻の中バスは次のポイントに向かった。

それは住宅地ではない。
だからこそ興味も無かったと言ってよい。
向かった先は、駅舎である。
ユニオンステーションと言った。
なぜこんな駅舎が観光名所になっているのであろうか。それは分からなかった。
駅の前で米国人に声を掛けられた。
子どもを連れていたから安全だと思った。
「珍しいカメラを持っているね。」
「RICOHのGR?というんだ。」
「一眼レフかい?」
「違うんだけど、ワイドコンバージョンレンズを付けている。」
英語なんて流暢に喋れないのに、概略そんな会話をした。
駅舎の中に入ったら驚いた。とても古い建物なのだ。しかも木でできている。つまり木造の大建築なのだ。

ビバリーヒルズでも建て替え中の現場を見た。分譲地の新築住宅を見た。流通している既存住宅を見た。しかもマルチファミリーの集合住宅を見た。いずれも、2×4で造られている。米国といえば、それが普通と思っていた。しかし、どうやらそうとも言えない。
今までもっともらしく伝えられてきた、話に自分自身もすっかり騙されていたらしい。
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詫びる気持ちと同時に、その余韻の中バスは次のポイントに向かった。

それは住宅地ではない。
だからこそ興味も無かったと言ってよい。
向かった先は、駅舎である。
ユニオンステーションと言った。
なぜこんな駅舎が観光名所になっているのであろうか。それは分からなかった。
駅の前で米国人に声を掛けられた。
子どもを連れていたから安全だと思った。
「珍しいカメラを持っているね。」
「RICOHのGR?というんだ。」
「一眼レフかい?」
「違うんだけど、ワイドコンバージョンレンズを付けている。」
英語なんて流暢に喋れないのに、概略そんな会話をした。
駅舎の中に入ったら驚いた。とても古い建物なのだ。しかも木でできている。つまり木造の大建築なのだ。

ビバリーヒルズでも建て替え中の現場を見た。分譲地の新築住宅を見た。流通している既存住宅を見た。しかもマルチファミリーの集合住宅を見た。いずれも、2×4で造られている。米国といえば、それが普通と思っていた。しかし、どうやらそうとも言えない。
今までもっともらしく伝えられてきた、話に自分自身もすっかり騙されていたらしい。
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2010年08月07日
アメリカの住宅を見てきた・・・40
生のビバリーヒルズは、一度この目で確認したいと思っていた街であった。よく考えれば、ビバリーヒルズのこの街の歴史も知らない。建て替わっている現場を見れば、歴史があっても新しい家が混じっていることは間違いない。反面、平屋の建物などは相当に古そうである。それでいて結論は、立派に育った植物と、敷地の広さと、アプローチの立派さに尽きるのかも知れない。逆に言うと、街を造るために建物が担っている役割は、極端に少ないと言うこともできる。それは今回の米国の住宅視察で求めていた答えとは、全く正反対の結果となる。住宅なんてどうでも良いのだ。
それは、やはり旅の途中から芽生えてきた、本物とは何かという疑問に結びついている。
あえて言えば、こうして歴史の積み重なった街では、古いだけに、見るからに偽物の住宅はないといえる。その代わりに話に聞いていたのとは違い、米国でも隣どうしでバラバラの家が建てられている。住宅に関する統制はしっかり取れていると思わされてきたがそんなことはない。
そして当然ながら、普通に中古住宅として売買されている。

本物と偽物の話をすると極めて単純で、こうした歴史のある街では、偽物になりがちな建物を十分に隠すだけの敷地の広さと、大きく育った植物がある。この敷地と植物は絶対的に本物である。新しい家が建てば、2×4の建物でも、ティンバーのように見せているのであるから偽物になってくる。
しかし、品質と言うことを考えると、それはインスペクションもあってしっかりと造られている。建設の基準がしっかりしているのである。その意味では、間違いなく品質は本物である。
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それは、やはり旅の途中から芽生えてきた、本物とは何かという疑問に結びついている。
あえて言えば、こうして歴史の積み重なった街では、古いだけに、見るからに偽物の住宅はないといえる。その代わりに話に聞いていたのとは違い、米国でも隣どうしでバラバラの家が建てられている。住宅に関する統制はしっかり取れていると思わされてきたがそんなことはない。
そして当然ながら、普通に中古住宅として売買されている。

本物と偽物の話をすると極めて単純で、こうした歴史のある街では、偽物になりがちな建物を十分に隠すだけの敷地の広さと、大きく育った植物がある。この敷地と植物は絶対的に本物である。新しい家が建てば、2×4の建物でも、ティンバーのように見せているのであるから偽物になってくる。
しかし、品質と言うことを考えると、それはインスペクションもあってしっかりと造られている。建設の基準がしっかりしているのである。その意味では、間違いなく品質は本物である。
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2010年07月03日
アメリカの住宅を見てきた・・・39
まず一番の景色の違いは、電柱があることだ。それとゴミ箱が並んでいる。まさに裏通りである。
しかし、この裏通りも思った以上に幅員が広い。5m以上ある。
表通りが住宅展示場のように見えたが、この裏通りもとても見慣れた風景に感じた。それはつまり、日本の一般的な住宅街の通りである。
本当は絶対に口に出して言いたくないのであるが、懐かしくも感じる。それではあまりにも日本の街づくりが悲惨に感じてしまうので、言いたくないのである。結果的には、日本人は裏通りに住んでいると言うことになってしまう。

表通りはどんなに整っていて、高級車が並んでいても、裏通りはゴミ収集車が通る道である。メルセデスやBMWやレクサスが走ることはない。従って道路面も荒れている。それで良いのである。
各住居の塀も道路から直接立っていて、閉鎖的な印象を与える。こうした塀の作り方が、日本の街なみを思い出させるのかもしれない。
電柱も見れば木製の古い電柱である。しかも傾いたままになっている。この割り切り方が、合理性であるとも感じた。
一通り歩いてみると、実は工事をしている区画が、一つとは言わずに有った。つまり、住宅も変わっているのである。

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2010年06月25日
アメリカの住宅を見てきた・・・38

頭の中で、このビバリーヒルズの街なみから、樹木を除いてみた。ますます、住宅展示場に似ているように思えてくる。それは庭木だけではない。街路樹も同様にしっかり育っているのである。高級感を与えている原因は、この緑の他にはない様に思えてきた。
通りの歩道も、これまでに見てきた街と同じつくりである。つまりコンクリート板が連なっているようなものだ。さすがに単なる板のようではないが、歩道そのものは決して広いものではない。しかしそのコンクリートの歩道の脇には、しっかりと手入れがされた芝生がある。そう、これだけでも立派な感じがするものである。
これが日本であったらどうであろうか。
おそらく芝生の代わりに雑草が生えて、見るも無惨な姿になるに違いない。日本人は自然に調和するから、このような芝生の管理をするようなことは望まないのだと、変な理屈が聞こえてくる。それでいて、京の北山の植林で整然と並んだ杉の森を見て、自然は美しいと語る。正直言うと、どちらが本物かわからなくなる。
だいぶ昔のことであるが、沖縄の事例を話に聞いたことがある。
アメリカ軍の基地内として管理されていた空地が、日本に返還されて公園となった場所があるという。とても綺麗に芝生が植えられて景色の良かったものが、日本の管理になったら公園遊具こそは揃っているが、雑草が伸び放題になったという。今の自分には、どうしても日本の方がさぼっているようにしか思えない。それだけの力を込めなければ、この街は完成されないのである。そう考えると、日本の総合展示場でさえ、まともな管理がなされていないと思える。残念である。
さらに、感じた違いはカーポートがないことだ。これまでにもいくつかの街を見てきたが、日本のように裸の車をおいているよりは良さそうだが、結局はシャッター街を思わせるガレージがあった。しかし、ビバリーヒルズには、ガレージも露骨には見あたらない。それどころか、各家ごとに車寄せがある。
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2010年06月23日
アメリカの住宅を見てきた・・・37
ビバリーヒルズの街を訪れて思い出したのは、昔行ったマーケティング調査である。「高級な家」と言うもののイメージを求めて調査を行った。どのような住宅に高級感を持っているかということを調査したのである。
このような調査で一番問題になるのは、その調査方法である。たとえば洋風の家と和風の家とどちらに高級感を感じるかという調査をすれば、当然その結果を測ることはできる。その結果は数値で表されて、なるほど洋風の家はこれくらい高級のイメージがあるのだと表されるであろう。しかし言葉のイメージだけでは、最終的に何がポイントかはわからない。そこでイメージできるような写真をつければ、その写真の選び方によって結果が導引される恐れがある。つまり調査アンケート設計が難しいのである。
この時の調査では、いわゆるテキストマイニングを主眼として実施してみた。つまり文章の内容で調査しようとするものである。
その方法は単純で、「あなたが高級な家だとイメージされる風景やシーンを書いてください。」と言う単純なアンケートである。通常はその後の集計が大変であったり、基準を設けるために50文字以内とかのルールを作ることがおおい。今回の調査は目的がどのような言葉を使いたがるかというところから探ろうとしているので、全く逆で200文字以上を使って書いてもらうこととしている。こうして書かれた文章の中に、どのようなテキストが多く使われているのかを分析しようとするものである。
たとえば、単純な言葉で「広い」系の言葉は、60%の人が使っている。それに対して「高い」系の言葉は20%である。
高級住宅と言って思い浮かべるのは、高さよりも広さに傾向があると言って良い。
ここで、簡単な結論を言っておけば、この調査の他の側面が顕著にビバリーヒルズで感じられたのである。
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このような調査で一番問題になるのは、その調査方法である。たとえば洋風の家と和風の家とどちらに高級感を感じるかという調査をすれば、当然その結果を測ることはできる。その結果は数値で表されて、なるほど洋風の家はこれくらい高級のイメージがあるのだと表されるであろう。しかし言葉のイメージだけでは、最終的に何がポイントかはわからない。そこでイメージできるような写真をつければ、その写真の選び方によって結果が導引される恐れがある。つまり調査アンケート設計が難しいのである。この時の調査では、いわゆるテキストマイニングを主眼として実施してみた。つまり文章の内容で調査しようとするものである。
その方法は単純で、「あなたが高級な家だとイメージされる風景やシーンを書いてください。」と言う単純なアンケートである。通常はその後の集計が大変であったり、基準を設けるために50文字以内とかのルールを作ることがおおい。今回の調査は目的がどのような言葉を使いたがるかというところから探ろうとしているので、全く逆で200文字以上を使って書いてもらうこととしている。こうして書かれた文章の中に、どのようなテキストが多く使われているのかを分析しようとするものである。
たとえば、単純な言葉で「広い」系の言葉は、60%の人が使っている。それに対して「高い」系の言葉は20%である。
高級住宅と言って思い浮かべるのは、高さよりも広さに傾向があると言って良い。
ここで、簡単な結論を言っておけば、この調査の他の側面が顕著にビバリーヒルズで感じられたのである。
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2010年06月19日
アメリカの住宅を見てきた・・・36
アメリカの住宅視察記も、#36でようやくビバリーヒルズにたどり着いた。ある意味ではもっとも楽しみにしていた場所である。高級住宅街としてのイメージは、日本にもしっかりと届き根付いている。
しかも、実際に住んでいる地域をこうして訪ねるのであり、戸建て住宅を本懐とする自分にとっては、まさにこの機が視察のクライマックスである。しかし失態をした。集合時間を間違えて、集合に遅れたのである。 (その折は、みなさん大変ご迷惑をおかけしました。)

さて、そのビバリーヒルズの街を歩いてみると、ちょっと予想とは違った感覚を味わった。正直言って本当の豪邸街には興味がなかったかも知れない。その意味では丁度良い地域であったと思う。しかし、資産価値と街づくりの話をたくさん聞いて期待していると、そのことに関してはすっかり裏切られた感があった。
単純に言えば、街づくりの観点では住宅そのものに合理的な共通点を見いだすことができなかったということだ。それほど、冷静に見ればちんどん屋の様に家が並んでいたということである。しかも、米国らしさの家ばかりではない。
純粋な家が建ち並んでいる姿は、ふと、日本にも似ている光景があると感じた。残念ながらどこかの街なみではない。それは総合住宅展示場である。全国に500近くもあると言うから、身近なところにいくらでもあるに違いない。その住宅展示場である。
住宅展示場にある風景の大きなポイントが2つある。もちろん多くの展示場にたてられている住宅は、大きな家が多いのであるが、それ以外のポイントである。
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しかも、実際に住んでいる地域をこうして訪ねるのであり、戸建て住宅を本懐とする自分にとっては、まさにこの機が視察のクライマックスである。しかし失態をした。集合時間を間違えて、集合に遅れたのである。 (その折は、みなさん大変ご迷惑をおかけしました。)

さて、そのビバリーヒルズの街を歩いてみると、ちょっと予想とは違った感覚を味わった。正直言って本当の豪邸街には興味がなかったかも知れない。その意味では丁度良い地域であったと思う。しかし、資産価値と街づくりの話をたくさん聞いて期待していると、そのことに関してはすっかり裏切られた感があった。
単純に言えば、街づくりの観点では住宅そのものに合理的な共通点を見いだすことができなかったということだ。それほど、冷静に見ればちんどん屋の様に家が並んでいたということである。しかも、米国らしさの家ばかりではない。
純粋な家が建ち並んでいる姿は、ふと、日本にも似ている光景があると感じた。残念ながらどこかの街なみではない。それは総合住宅展示場である。全国に500近くもあると言うから、身近なところにいくらでもあるに違いない。その住宅展示場である。
住宅展示場にある風景の大きなポイントが2つある。もちろん多くの展示場にたてられている住宅は、大きな家が多いのであるが、それ以外のポイントである。
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2010年05月06日
アメリカの住宅を見てきた・・・35
アメリカの住宅事情を知るためには、歴史を含めた住宅を見るだけではなく、町中にあるホームデポを見ることも参考になる。ということで、新興住宅地にある店に立ち寄ることになった。
純粋に見てみたいと思った。
当然、日曜大工的に一般の庶民が通う店でもあるが、ビルダーも出入りしていることが多い。昨今は、日本にもこのような店が増えたが、果たしてどのような違いがあるのであろうか。
以前からの仕事で、衛星放送のテレビ二関する情報を聞いていた。アメリカではとにかくケーブルテレビもあって、チャンネルの数も中途半端ではないという。それだけにテレビ局の競争も大変なものである。
そんな中で、もっとも視聴率が多い番組が「HOME CHANNEL」という、家づくりの番組であると聞いていた。番組の内容もビデオで見たことがある。
その内容は、自分で自宅を床暖房に変えようというものであった。見れば電気の配線を引くという単純なものではなく、温水を床下に回して床暖房を作るのである。これが素人が見る番組なのかと疑った。
もう一つは浴室のバスタブを交換するものである。確かに工事の手順の説明などは、プロよりも素人向きなのかもしれないが、どうしても信じられなかった。
日本でも同じような情報番組を衛星放送で作ろうと動いていたのだが、日本ではプロの匠に任せる番組しか見かけない。
こうした風土の中にある、ホームデポはまさに興味の的であった。

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純粋に見てみたいと思った。
当然、日曜大工的に一般の庶民が通う店でもあるが、ビルダーも出入りしていることが多い。昨今は、日本にもこのような店が増えたが、果たしてどのような違いがあるのであろうか。
以前からの仕事で、衛星放送のテレビ二関する情報を聞いていた。アメリカではとにかくケーブルテレビもあって、チャンネルの数も中途半端ではないという。それだけにテレビ局の競争も大変なものである。
そんな中で、もっとも視聴率が多い番組が「HOME CHANNEL」という、家づくりの番組であると聞いていた。番組の内容もビデオで見たことがある。
その内容は、自分で自宅を床暖房に変えようというものであった。見れば電気の配線を引くという単純なものではなく、温水を床下に回して床暖房を作るのである。これが素人が見る番組なのかと疑った。
もう一つは浴室のバスタブを交換するものである。確かに工事の手順の説明などは、プロよりも素人向きなのかもしれないが、どうしても信じられなかった。
日本でも同じような情報番組を衛星放送で作ろうと動いていたのだが、日本ではプロの匠に任せる番組しか見かけない。
こうした風土の中にある、ホームデポはまさに興味の的であった。

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2010年05月03日
アメリカの住宅を見てきた・・・34
視察旅行は、ビバリーヒルズへと進路を取ることになる。この街の住宅を眺めないと、今回の仕上げにはならない。
その途中で、数カ所を回る。ある意味では観光の部分もあるが、新興の住宅街を通ってくれることになった。残念ながら、徒歩で歩くわけではない。バスの中から眺めるだけのことであった。
ぱっとみるととても様々な建物が並んでいる。正直言うとこれまでの住宅地の環境を見てきているので、あまりにも華奢な風景に多少がっかりもした。やっぱり、住宅地の価値が上がるのは、詰まるところ街路樹や屋敷の中の樹が育っているからと思う。新しい街では、そのような雰囲気も全くない。建物といえば、当然、これまでにも見てきた通りの典型的な建物である。
さすがに動いているバスのまどからでは、詳細のディテールを干渉するだけの余裕はない。ここはできる限りカメラに集中して窓の先を通り過ぎる住宅の撮影に専念することにした。
こうして保存しておいたのが、次の写真である。これは現地というよりも、その後のバスの中で撮った写真を眺めているうちに感じたことである。
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その途中で、数カ所を回る。ある意味では観光の部分もあるが、新興の住宅街を通ってくれることになった。残念ながら、徒歩で歩くわけではない。バスの中から眺めるだけのことであった。
ぱっとみるととても様々な建物が並んでいる。正直言うとこれまでの住宅地の環境を見てきているので、あまりにも華奢な風景に多少がっかりもした。やっぱり、住宅地の価値が上がるのは、詰まるところ街路樹や屋敷の中の樹が育っているからと思う。新しい街では、そのような雰囲気も全くない。建物といえば、当然、これまでにも見てきた通りの典型的な建物である。さすがに動いているバスのまどからでは、詳細のディテールを干渉するだけの余裕はない。ここはできる限りカメラに集中して窓の先を通り過ぎる住宅の撮影に専念することにした。
こうして保存しておいたのが、次の写真である。これは現地というよりも、その後のバスの中で撮った写真を眺めているうちに感じたことである。
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2010年05月01日
アメリカの住宅を見てきた・・・33
本物と偽物の差は、今回のアメリカの家をみてきた旅行の一番のテーマになってきた。ただしますます正直本物と偽物とどちらが良いのかは分からない。混迷してきた。

もっと猛反省をしたならば、本物を語ることが害になっていることも多い。
かと言って、本物を否定することはできない。問題は誰でもがあたかも本物を知っているかのように語ることがいけないのである。単純に本物を語ることができるのは、1%にも満たない人だけではないだろうか。何十年もその道を極めてきた人である。建築の世界が、50歳でやっと駆け出しと言われるのもそのためだ。
そう考えるほどに、まだまだ自分には純粋な本物を語る資格はなく、むしろ偽物の受け止め方を語る方がふさわしい。幸いにもアメリカの家を見る機会はその意味で、大変勉強になったことになる。本物がどのように作られているかは分からないが、真贋を問わず、ちょっとした工夫で深い印象を与えてくれるものである。たとえ本物でなくても、印象深い作りが散見できるのである。
プラヤビスタの街づくりでは、植栽の計画にも感心することが多かった。新しい街なのに、何となく古さを感じさせるのである。しかもラスベガスで回った、インターロッキングによる歪んだ道路面とは違い、これらが植栽で感じさせられると気づかされた。
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もっと猛反省をしたならば、本物を語ることが害になっていることも多い。
かと言って、本物を否定することはできない。問題は誰でもがあたかも本物を知っているかのように語ることがいけないのである。単純に本物を語ることができるのは、1%にも満たない人だけではないだろうか。何十年もその道を極めてきた人である。建築の世界が、50歳でやっと駆け出しと言われるのもそのためだ。
そう考えるほどに、まだまだ自分には純粋な本物を語る資格はなく、むしろ偽物の受け止め方を語る方がふさわしい。幸いにもアメリカの家を見る機会はその意味で、大変勉強になったことになる。本物がどのように作られているかは分からないが、真贋を問わず、ちょっとした工夫で深い印象を与えてくれるものである。たとえ本物でなくても、印象深い作りが散見できるのである。
プラヤビスタの街づくりでは、植栽の計画にも感心することが多かった。新しい街なのに、何となく古さを感じさせるのである。しかもラスベガスで回った、インターロッキングによる歪んだ道路面とは違い、これらが植栽で感じさせられると気づかされた。
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2010年04月24日
アメリカの住宅を見てきた・・・32
プラヤビスタの住宅は、いわゆるマルチファミリー向けの住宅である。つまり、新しい集合住宅の街として開発されたものである。4〜5階建てのビルのように見える、カラフルなパステルカラーのモダンデザインの集合住宅が並んでいる。

例によって、拳の先で叩いてみた。期待通りの軽い音である。
シングルファミリー、つまり一戸建ての住宅ではないこの事例の中で、真っ先に目を付けたのは、街づくりとしての外溝工事である。
歩道は、当初の話に書いていたように、コンクリート板である。この新しい町の道路の作り方をみている内に、コンクリート板と現場打ちの使い方が分かってきたような気がする。いちばん単純なのは歩道と横断歩道の接点、つまり歩道の端である。道路には角切りがしてあるので、四角く収まっていない。その上、車道と歩道の段差があるので、平らなコンクリート板では納められない。
通常の歩道はコンクリート板であるが、こういう単純に板をおけない場所では現場打ちのコンクリートが使われている。湿式で作るのだからどうにでもなる。その上コンクリート板と色合いもしっかり揃っている。異種の材料を組み合わせた感じがしない。
しかもこの仕上げが洒落ていた。どうせ湿式であるから、最後を刷毛引きとしているのだが、この刷毛の動きを使って青海波の模様を描いているのである。最後の職人の手間だけど気持ちを感じた。
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例によって、拳の先で叩いてみた。期待通りの軽い音である。
シングルファミリー、つまり一戸建ての住宅ではないこの事例の中で、真っ先に目を付けたのは、街づくりとしての外溝工事である。
歩道は、当初の話に書いていたように、コンクリート板である。この新しい町の道路の作り方をみている内に、コンクリート板と現場打ちの使い方が分かってきたような気がする。いちばん単純なのは歩道と横断歩道の接点、つまり歩道の端である。道路には角切りがしてあるので、四角く収まっていない。その上、車道と歩道の段差があるので、平らなコンクリート板では納められない。通常の歩道はコンクリート板であるが、こういう単純に板をおけない場所では現場打ちのコンクリートが使われている。湿式で作るのだからどうにでもなる。その上コンクリート板と色合いもしっかり揃っている。異種の材料を組み合わせた感じがしない。
しかもこの仕上げが洒落ていた。どうせ湿式であるから、最後を刷毛引きとしているのだが、この刷毛の動きを使って青海波の模様を描いているのである。最後の職人の手間だけど気持ちを感じた。
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2010年04月22日
アメリカの住宅を見てきた・・・31
ロスアンジェルスの2日目は、バスで移動してプラヤビスタの新しい街を視察した。
ところが見学の際に真っさきに向かったのはトイレになってしまった。
単に小用がしたくなったのだが。何も分からないので、コーヒーショップに入ってトイレを借りた。
そこで用をたしてから見つけたのが、一つの貼り紙である。
「手を洗いなさい」と描いてある。しかもよく読むと、「state low」と書いてある。ほう、州法でトイレの手洗いが定められているのだと思った。衛生感というのは健康の為にも大切なことである。日本には、上足の文化があって衛生が保たれているから健康住宅であるという評価もある。
そう思い続けていた。
話は一転して、つい最近、新幹線の中で面白い寸景を見つけた。
この寸景は、日本人の上足文化への変化であると感じた。上足の文化、これは本当に根元的な文化であり根強いものだと思う。しかし、残念ながら廃れつつあるとも思う。かつ、そう言いながら迷いもある。まさに、その象徴ともなる寸景である。
上足の文化というのがどれだけ根強いかというと、単純に言えば、おそらく明治維新以来に靴の文化がもたらされたにもかかわらず、変わらなかった。戦前はもちろんのこと、昭和も中頃以降まで下駄を履いていた人は多かったと思う。つまり、100年という歳月を持ってしても変わらないほどの、根強い文化であったのだ。
それに対して、言葉というのはどうだろう。文化としては言語は大切な要素である。しかし、同じ期間の中でおそらく大変な変化をしていると言っても過言ではないだろう。その言語以上に変わらなかったのが、上足の文化である。
また、価値観としての上足文化というのを知らされた文を昔読んだ覚えがある。
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ところが見学の際に真っさきに向かったのはトイレになってしまった。
単に小用がしたくなったのだが。何も分からないので、コーヒーショップに入ってトイレを借りた。
そこで用をたしてから見つけたのが、一つの貼り紙である。
「手を洗いなさい」と描いてある。しかもよく読むと、「state low」と書いてある。ほう、州法でトイレの手洗いが定められているのだと思った。衛生感というのは健康の為にも大切なことである。日本には、上足の文化があって衛生が保たれているから健康住宅であるという評価もある。そう思い続けていた。
話は一転して、つい最近、新幹線の中で面白い寸景を見つけた。
この寸景は、日本人の上足文化への変化であると感じた。上足の文化、これは本当に根元的な文化であり根強いものだと思う。しかし、残念ながら廃れつつあるとも思う。かつ、そう言いながら迷いもある。まさに、その象徴ともなる寸景である。
上足の文化というのがどれだけ根強いかというと、単純に言えば、おそらく明治維新以来に靴の文化がもたらされたにもかかわらず、変わらなかった。戦前はもちろんのこと、昭和も中頃以降まで下駄を履いていた人は多かったと思う。つまり、100年という歳月を持ってしても変わらないほどの、根強い文化であったのだ。
それに対して、言葉というのはどうだろう。文化としては言語は大切な要素である。しかし、同じ期間の中でおそらく大変な変化をしていると言っても過言ではないだろう。その言語以上に変わらなかったのが、上足の文化である。
また、価値観としての上足文化というのを知らされた文を昔読んだ覚えがある。
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2010年04月18日
アメリカの住宅を見てきた・・・30
ギャンブル邸を見た後に、頭の中はアメリカ映画のことでいっぱいだった。アメリカ映画らしいアメリカ映画のストーリーパターンはまさに勧善懲悪の結論に向かって、苦境を重ねる時間が全体の80%である。その中にお決まりのロマンスがあり、愛が描かれる。そして最後には、必ず奇跡的な結末が正しい愛の姿を助けるようにして、悪が懲らしめられるのである。
昨今のアメリカテレビドラマは、こうした単純さから脱却して複雑な人間関係が描かれている。と、思うが、結局は登場人物を増やすことで物語が増えているだけである。
このように言うと、いかにも深みのない映画が多いような口振りになるが、決してすべてがそうであるとは言えない。昔のアメリカ映画でも、奥深い作品は沢山あった。
では、この映画そのものの価値とは何であろうか。しょせんは映画も小説と同じようにフィクションの世界であって、その意味では本物とは言えない。もちろんドキュメンタリーのような本物の映画もあるし、事実をドラマ化したノンフィクションもある。
要は映画は見て楽しめるかである。ドキュメンタリーを見て楽しむ人もいれば、勧善懲悪にスカッとする人もいる。だからどちらも正しい。でも、互いに批判することがあるかも知れない。
自分自身を振り返ると、どうやらドキュメンタリー派である。純粋なフィクションでも妙にリアリティを求めてしまうのである。そう言いながら、昔はミュージカルが好きだった。ミュージカルというのは台詞が歌になっているから、冷静になって見てみるとこれほど不自然な映画はない。でも、心から楽しんで見ることができた。
結局、世の中の多数派を考えれば、単純にこのフィクションを楽しんでいるのである。リアリティさよりも、エンターテインメントでいいのである。逆に言うと、自分のような少数派は、人生を楽しめないのかも知れない。

アメリカの家を、偽物で張りぼての家と思ってしまう、日本の建築業界の感覚は同じようなところにある。本物にはこだわらないというのが、楽しむためのコツなのである。
パサディナの街は、そんなことも忘れるような立派な街なのに、歩いていてもこのことで頭はいっぱいだった。
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昨今のアメリカテレビドラマは、こうした単純さから脱却して複雑な人間関係が描かれている。と、思うが、結局は登場人物を増やすことで物語が増えているだけである。
このように言うと、いかにも深みのない映画が多いような口振りになるが、決してすべてがそうであるとは言えない。昔のアメリカ映画でも、奥深い作品は沢山あった。では、この映画そのものの価値とは何であろうか。しょせんは映画も小説と同じようにフィクションの世界であって、その意味では本物とは言えない。もちろんドキュメンタリーのような本物の映画もあるし、事実をドラマ化したノンフィクションもある。
要は映画は見て楽しめるかである。ドキュメンタリーを見て楽しむ人もいれば、勧善懲悪にスカッとする人もいる。だからどちらも正しい。でも、互いに批判することがあるかも知れない。
自分自身を振り返ると、どうやらドキュメンタリー派である。純粋なフィクションでも妙にリアリティを求めてしまうのである。そう言いながら、昔はミュージカルが好きだった。ミュージカルというのは台詞が歌になっているから、冷静になって見てみるとこれほど不自然な映画はない。でも、心から楽しんで見ることができた。
結局、世の中の多数派を考えれば、単純にこのフィクションを楽しんでいるのである。リアリティさよりも、エンターテインメントでいいのである。逆に言うと、自分のような少数派は、人生を楽しめないのかも知れない。

アメリカの家を、偽物で張りぼての家と思ってしまう、日本の建築業界の感覚は同じようなところにある。本物にはこだわらないというのが、楽しむためのコツなのである。
パサディナの街は、そんなことも忘れるような立派な街なのに、歩いていてもこのことで頭はいっぱいだった。
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2010年04月17日
アメリカの住宅を見てきた・・・29
ギャンブル邸を見て気づかされたことの次の項目は、やっぱり真贋の談義である。それはそのまま、ラスベガスから始まっているアメリカ的な発想とも共通している。いよいよここで結論が出るのだろうか。
まず、一言で言えば「本物ではない」。
直前に建てられて展示されていた万博の建物は、日本から材を持ち込み、日本の職人が手を下して建てている。まさに本物の日本の建物である。それをおそらく見て、その他にも日本的な写真を、それこそたくさん見て設計をし、ある意味ではできる限り忠実に作ろうとした。少なくともその努力は見える。しかし、本物ではない。
バルコニーから見た地回りの梁は、柱よりも梁が勝っていて、梁継ぎがしてある。日本の伝統である小屋組の、丸太使いの雰囲気がある。しかし、よく見ると掛かっているべき梁の上下関係が逆である。本当にこの継ぎ方をしたら、力が伝えにくくなってしまうし、組立もやっかいになる。これは構造材として作られているのではなく、張りぼてなのだ。
虹梁を思わせる使い方が、インテリアの意匠に取り入れられている。長押の上にかけられているから、使われている場所が違う。でもそれは全体に洋館なのだから良いとしよう。しかし、その虹梁は大きな板から削りだして作られていることが木目を見れば分かる。原木の形を利用したものではなく、イミテーションなのだ。
2階の居室のにも大きな梁がかけられている。一見して、牛梁として生かしそうな配置である。が、しかし、その部屋を出ると梁は見あたらない。通していないのだ。つまり、見かけの大きさだけの梁である。
おそらく必死で日本建築の写真を眺めながら、これはと思ったデザインを盛り込むだけ盛り込んだに違いない。しかし、本当に残念ながら本当の意味を知って作られたものではなく、あくまでもデザインの要素として入れられたもの以外のものではない。だから、本物ではないのである。
まさに、ラスベガスのホテルの縮図である。
パリがテーマのホテルがあり、イタリアがテーマのホテルがあり、エジプトがテーマのホテルがある。日本がテーマの住宅があっても良い。そのノリだ。
その意味では、アメリカの感覚は変わっていない。でも、変わっていることがある。
それを一言で言えば「本物である」ことだ。
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まず、一言で言えば「本物ではない」。
直前に建てられて展示されていた万博の建物は、日本から材を持ち込み、日本の職人が手を下して建てている。まさに本物の日本の建物である。それをおそらく見て、その他にも日本的な写真を、それこそたくさん見て設計をし、ある意味ではできる限り忠実に作ろうとした。少なくともその努力は見える。しかし、本物ではない。
バルコニーから見た地回りの梁は、柱よりも梁が勝っていて、梁継ぎがしてある。日本の伝統である小屋組の、丸太使いの雰囲気がある。しかし、よく見ると掛かっているべき梁の上下関係が逆である。本当にこの継ぎ方をしたら、力が伝えにくくなってしまうし、組立もやっかいになる。これは構造材として作られているのではなく、張りぼてなのだ。虹梁を思わせる使い方が、インテリアの意匠に取り入れられている。長押の上にかけられているから、使われている場所が違う。でもそれは全体に洋館なのだから良いとしよう。しかし、その虹梁は大きな板から削りだして作られていることが木目を見れば分かる。原木の形を利用したものではなく、イミテーションなのだ。
2階の居室のにも大きな梁がかけられている。一見して、牛梁として生かしそうな配置である。が、しかし、その部屋を出ると梁は見あたらない。通していないのだ。つまり、見かけの大きさだけの梁である。
おそらく必死で日本建築の写真を眺めながら、これはと思ったデザインを盛り込むだけ盛り込んだに違いない。しかし、本当に残念ながら本当の意味を知って作られたものではなく、あくまでもデザインの要素として入れられたもの以外のものではない。だから、本物ではないのである。
まさに、ラスベガスのホテルの縮図である。
パリがテーマのホテルがあり、イタリアがテーマのホテルがあり、エジプトがテーマのホテルがある。日本がテーマの住宅があっても良い。そのノリだ。
その意味では、アメリカの感覚は変わっていない。でも、変わっていることがある。
それを一言で言えば「本物である」ことだ。
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2010年04月10日
アメリカの住宅を見てきた・・・28
フランク・ロイド・ライトのバーンズドール邸の次に行ったのは、ギャンブル邸である。この家もおよそ100年前の家である。実は、このアメリカの住宅視察の中は、このギャンブル邸に出会うためにあったのではないかと思うくらいに気付かされることが多かった。それほど、心に残った建物である。

設計をしたのは、グリーン・グリーン兄弟と聞いた。建築は学んできたが、恥ずかしながら詳細は知らない。ただ、最初に前置きをいなければならないのは、このグリーン兄弟は日本に来ることはなかったと言う。ライトは何度も来日し、ライトの建物も日本に残っているが、グリーン兄弟は本当の日本を知らなかった。まずはこの前提を確認しておく。
さて、その見学をしたギャンブル邸であるが、施主は世界的な家庭用品のメーカーであるP&Gの創始者である。社名に刻まれているGはまさに、ギャンブルのGである。さぞかし建築予算は潤沢であったに違いない。設計を手がけたグリーン兄弟に何を注文したのだろうか。それはこの残された建物から、推察するしかない。
見た瞬間からの、私の結論は「日本」であった。現地の案内人の話を聞いていると、一部においてしか日本的な要素については説明をしていないし、アジア全体を意識した話であった。同道した者の多くが、同じように「日本」を感じていた。
そもそも外観は木造であるが、いわゆるバンガローというか、ややもするとログハウスのような木材の圧倒感を持っている。それだけではもちろん日本的になど感じない。しかし、軒の出のバランスが何となく日本的に感じてしまう。さらにこれらの構造はいわゆる貫の造りとなっており、楔の使い方などが日本の建築を思い起こさせる。案内人によると、似たような構造様式は欧州を含めて色々な地域にあるようなことを言っていた。それは正しい解説であろう。
しかしグリーン兄弟が、全く情報がなく、彼らの頭の中だけで想像してこれらのデザインが完成したとは思えない。ライトでも同じだが、何らかのモチーフやストーリーがあって、それに動かされるようにしてデザインが出来上がるはずである。その根元的なモチーフとして、すべてにおいて日本を感じるのだ。中国や韓国などに残されている東アジア系の社寺建築をとは違うものである。くしくも、建設当時の直前に万博もあってジャポネスクの風潮があったと言う。
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設計をしたのは、グリーン・グリーン兄弟と聞いた。建築は学んできたが、恥ずかしながら詳細は知らない。ただ、最初に前置きをいなければならないのは、このグリーン兄弟は日本に来ることはなかったと言う。ライトは何度も来日し、ライトの建物も日本に残っているが、グリーン兄弟は本当の日本を知らなかった。まずはこの前提を確認しておく。
さて、その見学をしたギャンブル邸であるが、施主は世界的な家庭用品のメーカーであるP&Gの創始者である。社名に刻まれているGはまさに、ギャンブルのGである。さぞかし建築予算は潤沢であったに違いない。設計を手がけたグリーン兄弟に何を注文したのだろうか。それはこの残された建物から、推察するしかない。
見た瞬間からの、私の結論は「日本」であった。現地の案内人の話を聞いていると、一部においてしか日本的な要素については説明をしていないし、アジア全体を意識した話であった。同道した者の多くが、同じように「日本」を感じていた。
そもそも外観は木造であるが、いわゆるバンガローというか、ややもするとログハウスのような木材の圧倒感を持っている。それだけではもちろん日本的になど感じない。しかし、軒の出のバランスが何となく日本的に感じてしまう。さらにこれらの構造はいわゆる貫の造りとなっており、楔の使い方などが日本の建築を思い起こさせる。案内人によると、似たような構造様式は欧州を含めて色々な地域にあるようなことを言っていた。それは正しい解説であろう。
しかしグリーン兄弟が、全く情報がなく、彼らの頭の中だけで想像してこれらのデザインが完成したとは思えない。ライトでも同じだが、何らかのモチーフやストーリーがあって、それに動かされるようにしてデザインが出来上がるはずである。その根元的なモチーフとして、すべてにおいて日本を感じるのだ。中国や韓国などに残されている東アジア系の社寺建築をとは違うものである。くしくも、建設当時の直前に万博もあってジャポネスクの風潮があったと言う。
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2010年02月27日
アメリカの住宅を見てきた・・・27
天下のフランク・ロイド・ライトを、住宅のプロではなく、デザイナーと語ってしまった。たかだかバーンズ・ドール邸を1時間弱しか見学していないのに。その後1年間も悶々と考えはしたが、その結論は変わらない。逆にそれだからこそ、偉大であると思う。むしろプロと称している人の技術論が一番聞きたくない。技術はどんどん進化する、その時その時のプロと付き合えばよい。私には、ライトは技術論を中心に語っていたとは思えないのである。隙間なんてあったっていいではないか。
それだけに、彼が描いたバーンズ・ドール邸の住宅のデザインというエッセンスを抜き出してみたい。難しいことであるが、気づかされたことは大きい。
その気持ちを表現すると、住宅は物語であると思う。いや、思わされた。そしてまさにこれこそが、注文住宅の神髄でもある。
バーンズ邸のデザインには一つのモチーフが取り入れられている。それは、「ホリーホック」。日本名で言えば「タチバアオイ」と聞いた。
もっとも基本的な話で、このホリーホックにこだわったのは誰なのだろうか。単純に言えば、施主であるバーンズ・ドールかライト以外にはいない。現地説明では、施主である。
それが形に現れているのであるから、作るまでの間に色々な話をしたに違いない。少なくてもライトが大切にしてあげたいと決意するほど時間的にコミュニケーションをとったからこそ、こうして形になった。ライトはホリーホックの花を、この住宅のデザインの中心に据えて物語を作らなければ完成しないと思ったのである。
おそらく最初の1棟からとてつもなくコストが掛かったに違いない。それでも決裂するまで続けたのは、この家のホーリーホックの物語を施主が気に入ったからに違いない。その意味では、この物語はとても大切なものであったろう。
ここでは書き出しから物語と書いてしまったから、そのままの言葉を使っているが同じような意味で、モチーフも使っているし、敢えてビジョンと言っても良い。おそらく世の中のデザインに関するものには、これを欠かすことはできないであろう。そのことをライトはバーンズ・ドール邸で教えてくれた。
そして、このことはこれまでみてきたラスベガスに通じる。
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それだけに、彼が描いたバーンズ・ドール邸の住宅のデザインというエッセンスを抜き出してみたい。難しいことであるが、気づかされたことは大きい。
その気持ちを表現すると、住宅は物語であると思う。いや、思わされた。そしてまさにこれこそが、注文住宅の神髄でもある。
バーンズ邸のデザインには一つのモチーフが取り入れられている。それは、「ホリーホック」。日本名で言えば「タチバアオイ」と聞いた。もっとも基本的な話で、このホリーホックにこだわったのは誰なのだろうか。単純に言えば、施主であるバーンズ・ドールかライト以外にはいない。現地説明では、施主である。
それが形に現れているのであるから、作るまでの間に色々な話をしたに違いない。少なくてもライトが大切にしてあげたいと決意するほど時間的にコミュニケーションをとったからこそ、こうして形になった。ライトはホリーホックの花を、この住宅のデザインの中心に据えて物語を作らなければ完成しないと思ったのである。
おそらく最初の1棟からとてつもなくコストが掛かったに違いない。それでも決裂するまで続けたのは、この家のホーリーホックの物語を施主が気に入ったからに違いない。その意味では、この物語はとても大切なものであったろう。
ここでは書き出しから物語と書いてしまったから、そのままの言葉を使っているが同じような意味で、モチーフも使っているし、敢えてビジョンと言っても良い。おそらく世の中のデザインに関するものには、これを欠かすことはできないであろう。そのことをライトはバーンズ・ドール邸で教えてくれた。
そして、このことはこれまでみてきたラスベガスに通じる。
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2010年02月20日
アメリカの住宅を見てきた・・・26
ロサンジェルスの空港に着いたら、早速、フランク・ロイド・ライトの設計した、バーンズドール邸に向かった。ライトの功績はさまざまなところで出会う。しかし、実際に建物を見るのは始めてである。50才になって始めてである。その意味では自分の不勉強さを思い知る。耳学問だけの自分が、現物のライトの造った建物と対面してどのような直感を受けるのか楽しみであった。

バーンズドール邸の第一印象は、日本的ではないと思った。それでいて微かにアジアの感覚があった。それは浅はかな知識がそうさせているのであろう。これまでにさまざまな写真で見ているアンコールワットの遺跡が連想されたからに過ぎないのだろう。また、日本的なものを期待していたのは、あまりにもライトと日本の関係についての著作に触れていたせいもある。唯一、日本画がリビングに掛けられていた。
日本的な印象を全く受けないのは、一番に木造ではないことからであろう。その象徴となるのが、玄関扉であった。分厚いコンクリート板で造っている。それが、まるで切り出したかのように形状をデザインされている。石の遺跡を想起させる。回廊式になっているところなどは、ちょっと間違うと日本を感じる場所ではあるが、おそらくアンコールワットを始め、巨石遺跡群や寺院的な建造物と思えば同じように感じるに違いない。
しかし、アメリカの住宅を見に行ったのであって、別に日本の文化の片鱗を探しに行ったのではない。ライトらしさを学ぶことの方が大切である。その意味では、モールディングのデザインなどちょっと興味を誘うディテールは各所にあった。誠に残念ながら、室内の写真は許可されなかった。
さて、目的としては住宅としての出来を学んでおかなければならない。
ここで考えるのは、当時の建築としての住宅の性能はいかがであったのか。単純には性能をとやかく言う時代ではなかったかもしれない。それと温暖な地で今のような気密性を求めてもいなかったのだろう。
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バーンズドール邸の第一印象は、日本的ではないと思った。それでいて微かにアジアの感覚があった。それは浅はかな知識がそうさせているのであろう。これまでにさまざまな写真で見ているアンコールワットの遺跡が連想されたからに過ぎないのだろう。また、日本的なものを期待していたのは、あまりにもライトと日本の関係についての著作に触れていたせいもある。唯一、日本画がリビングに掛けられていた。
日本的な印象を全く受けないのは、一番に木造ではないことからであろう。その象徴となるのが、玄関扉であった。分厚いコンクリート板で造っている。それが、まるで切り出したかのように形状をデザインされている。石の遺跡を想起させる。回廊式になっているところなどは、ちょっと間違うと日本を感じる場所ではあるが、おそらくアンコールワットを始め、巨石遺跡群や寺院的な建造物と思えば同じように感じるに違いない。しかし、アメリカの住宅を見に行ったのであって、別に日本の文化の片鱗を探しに行ったのではない。ライトらしさを学ぶことの方が大切である。その意味では、モールディングのデザインなどちょっと興味を誘うディテールは各所にあった。誠に残念ながら、室内の写真は許可されなかった。
さて、目的としては住宅としての出来を学んでおかなければならない。
ここで考えるのは、当時の建築としての住宅の性能はいかがであったのか。単純には性能をとやかく言う時代ではなかったかもしれない。それと温暖な地で今のような気密性を求めてもいなかったのだろう。
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2010年02月13日
アメリカの住宅を見てきた・・・25
ラスベガスの住宅視察は終わった。この次は、ロスへの移動となる。ここで、ラスベガスという街を、もう一度振り返える。なんと言っても、この地がアメリカを象徴するのであるから。
ラスベガスは、新しい街である。そしてアメリカも新しい国である。日本の歴史を誉め称える気はないが、この地には歴史はない。いや、正確に言うと、近年の歴史しかない。
ラスベガスを去る前に、古いメインストリートを訪れた。住宅ではないが、街を見るのも大切であろう。この古いラスベガスを見ても、感じるものがある。
他愛のない話であるが、良くテレビでは見るセダンの車が長くなったようなリムジンカーというのにも乗ってみた。
古いラスベガスは、やはりちょっと趣が違う。それが何かは、すぐにはつかみかねた。とにかくこれまでの風景よりも古臭い感じがする。かといって、全く古い設備ばかりということではない。最新式のイルミネーションも導入されている。言いえているかはわからないが、電飾の色が違うような気がした。建物も古い。そして建物にはテーマが設定されていない。
それはそれで、良い雰囲気に感じる。しかし古い街のイルミネーションは、痛々しいほどにエネルギーを使っていて、環境時代の現代には反逆児のように見えた。
冷めた目で見ると、古いラスベガスのカジノがパチンコ屋の延長に見えてきた。そう、街そのものがパチンコ屋だ。一度そのように想起されてしまうと、新しいラスベガスも大差ないと思えてきた。
パチンコ屋の街並みは機械に向かっている時だけではなく、ただ歩いていても雰囲気に浸れるようになっている。その意味では、娯楽施設が高じてアトラクションになった。アメリカを象徴するディズニーランドのアトラクションも同じ要素を持っている。乗り物に乗る時間よりも、並びながらそのアトラクションのプロローグを味わうことが大切なのである。
カジノはお金を賭けてるスリル感がある。しかし、これを味わうのが怖い人も多かろう。そこで、ラスベガスのカジノには、1〜2セントから賭けられるスロットが置かれている。その機械と損料を考えても、採算が合うはずがない。これもアトラクションとしての仕掛けである。賭けるのが嫌いな人の為に雰囲気が味わえる配慮がしてあるのだ。街全体はもちろん、こうした仕掛けがラスベガスを特別なものにしているのだと思う。日本円にしても1〜2円であって、賭事としては、まさに疑似体験である。それでも本物のラスベガスを楽しんだことになる。
改めて、真贋の論議が日米の差違に感じてきた。
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ラスベガスは、新しい街である。そしてアメリカも新しい国である。日本の歴史を誉め称える気はないが、この地には歴史はない。いや、正確に言うと、近年の歴史しかない。
ラスベガスを去る前に、古いメインストリートを訪れた。住宅ではないが、街を見るのも大切であろう。この古いラスベガスを見ても、感じるものがある。他愛のない話であるが、良くテレビでは見るセダンの車が長くなったようなリムジンカーというのにも乗ってみた。
古いラスベガスは、やはりちょっと趣が違う。それが何かは、すぐにはつかみかねた。とにかくこれまでの風景よりも古臭い感じがする。かといって、全く古い設備ばかりということではない。最新式のイルミネーションも導入されている。言いえているかはわからないが、電飾の色が違うような気がした。建物も古い。そして建物にはテーマが設定されていない。
それはそれで、良い雰囲気に感じる。しかし古い街のイルミネーションは、痛々しいほどにエネルギーを使っていて、環境時代の現代には反逆児のように見えた。
冷めた目で見ると、古いラスベガスのカジノがパチンコ屋の延長に見えてきた。そう、街そのものがパチンコ屋だ。一度そのように想起されてしまうと、新しいラスベガスも大差ないと思えてきた。
パチンコ屋の街並みは機械に向かっている時だけではなく、ただ歩いていても雰囲気に浸れるようになっている。その意味では、娯楽施設が高じてアトラクションになった。アメリカを象徴するディズニーランドのアトラクションも同じ要素を持っている。乗り物に乗る時間よりも、並びながらそのアトラクションのプロローグを味わうことが大切なのである。
カジノはお金を賭けてるスリル感がある。しかし、これを味わうのが怖い人も多かろう。そこで、ラスベガスのカジノには、1〜2セントから賭けられるスロットが置かれている。その機械と損料を考えても、採算が合うはずがない。これもアトラクションとしての仕掛けである。賭けるのが嫌いな人の為に雰囲気が味わえる配慮がしてあるのだ。街全体はもちろん、こうした仕掛けがラスベガスを特別なものにしているのだと思う。日本円にしても1〜2円であって、賭事としては、まさに疑似体験である。それでも本物のラスベガスを楽しんだことになる。
改めて、真贋の論議が日米の差違に感じてきた。
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2010年02月07日
アメリカの住宅を見てきた・・・24
人類の文明の利器とは何であろうか。たくさんある。電気を使っているものもあれば、家電などもそうであろう。その中でもっとも象徴と言えるのは何だろうか。ここでは自動車と言っておこう。自動車ができて、それが個人が手軽に所有できるようになって大きく生活も変わった。
リーマンショックという大きな経済の波があって、自動車の業界もその大変革の世界に引きずり込まれた。いや、それ以上に、地球環境の問題があってガソリン車から電気自動車に転換しようともしている。こんな折に、自動車の新車販売数もアメリカが第1位から転落して中国が1番になった。ある意味では先進国のひとつの象徴が自動車の普及かもしれない。それほど、文明の利器である。
アメリカの住宅視察の中でも、このことにふれる瞬間があった、この後にロサンジェルスに向かうのであるが、この街は鉄道という選択肢を捨ててしまった街であると言う。とにかく、自動車が前提となった街づくりなのである。そのために、高速道路も発達している。そして、そのために逆に渋滞も名物であるという。
日本で昨今、電車の中で化粧をしている女性を嘆く話が湧いていた。でも、同じようにLAの女性は、通勤の車の中で化粧しているという。個人的な車の中であるから、電車の中とは少し事情は違う。それにしても、運転しながらであるから、もっと問題は大きいような気もするが、それほど渋滞がひどいという話である。
いわゆる自動車社会である。そしてこれは文化になっているのだろうか。風習は文化の一種であるから、そうとも言える。しかし自動車文化というものも、ちょっと考え物だと感じるようになった。それは、アメリカ視察を終えてから、こうして1年も経つうちに書いているからなのだろう。

アメリカの住宅地の街づくりは、とても立派だと感じていた。とにもかくにも、街並みの道路のつくりが良くて広々と感じる。大きな違いが、庭先に止めている車が目立たないのである。
そして自動車文化であるアメリカでは、日本人が和室を欲しがるように、ガレージを欲しがる。そして大概ガレージは家に付属している。それが、また違う街並みを形成する。
日本にはない風景として、街並みを見ている私たちは、それが進んだものだとして見てしまう傾向にある。実際にそうだと思っていた。
しかし、中国が新車登録台数1番になった現実を受け止めて、全く違う感覚でこの街並みを眺めるようになった。
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リーマンショックという大きな経済の波があって、自動車の業界もその大変革の世界に引きずり込まれた。いや、それ以上に、地球環境の問題があってガソリン車から電気自動車に転換しようともしている。こんな折に、自動車の新車販売数もアメリカが第1位から転落して中国が1番になった。ある意味では先進国のひとつの象徴が自動車の普及かもしれない。それほど、文明の利器である。
アメリカの住宅視察の中でも、このことにふれる瞬間があった、この後にロサンジェルスに向かうのであるが、この街は鉄道という選択肢を捨ててしまった街であると言う。とにかく、自動車が前提となった街づくりなのである。そのために、高速道路も発達している。そして、そのために逆に渋滞も名物であるという。
日本で昨今、電車の中で化粧をしている女性を嘆く話が湧いていた。でも、同じようにLAの女性は、通勤の車の中で化粧しているという。個人的な車の中であるから、電車の中とは少し事情は違う。それにしても、運転しながらであるから、もっと問題は大きいような気もするが、それほど渋滞がひどいという話である。
いわゆる自動車社会である。そしてこれは文化になっているのだろうか。風習は文化の一種であるから、そうとも言える。しかし自動車文化というものも、ちょっと考え物だと感じるようになった。それは、アメリカ視察を終えてから、こうして1年も経つうちに書いているからなのだろう。

アメリカの住宅地の街づくりは、とても立派だと感じていた。とにもかくにも、街並みの道路のつくりが良くて広々と感じる。大きな違いが、庭先に止めている車が目立たないのである。
そして自動車文化であるアメリカでは、日本人が和室を欲しがるように、ガレージを欲しがる。そして大概ガレージは家に付属している。それが、また違う街並みを形成する。
日本にはない風景として、街並みを見ている私たちは、それが進んだものだとして見てしまう傾向にある。実際にそうだと思っていた。
しかし、中国が新車登録台数1番になった現実を受け止めて、全く違う感覚でこの街並みを眺めるようになった。
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2010年01月30日
アメリカの住宅を見てきた・・・23
マルチファミリー用の住宅は、当然のように外観上はビルのようになっている。もちろん2〜3階の低層だけではなく、4〜5階建ての中層の建物も多い。このような物件も見学した。

期待はしていたが、果たしてその通りの結果であった。
それなりに立派なエレベータでその部屋に向かったのであるが、最初のチェックポイントは廊下である。その違いは歩いてみただけで分かった。これまでのホテルでも確認した通りに、音が軽いのである。ゴツゴツとかゴンゴンと言う重たい音ではなく、カツカツとかコンコンと言った、いかにも空っぽな音である。しかも、壁ではなくて廊下を歩く音がこうした音である。
そう、木造でこれらのビルができている!
しかも2×4である。ただし日本の2×4とは違い、面材は最低でも12mmである。こうした構造はなんと言っても面材の厚さが強度の差としてでやすい。だから、こうした中層のビルまで木造2×4で建設が可能なのである。
単純に言えば、日本人ほどコンクリートが好きな民族はいないかもしれない。
昔読んだ本に「犬と鬼」と言う本があった。四国と京都の民家に住んで、日本びいきで有名でもあったアレックス・カー氏の本であるが、大変示唆に富んだ本であった。そのタイトルの謂われから面白かった。
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期待はしていたが、果たしてその通りの結果であった。
それなりに立派なエレベータでその部屋に向かったのであるが、最初のチェックポイントは廊下である。その違いは歩いてみただけで分かった。これまでのホテルでも確認した通りに、音が軽いのである。ゴツゴツとかゴンゴンと言う重たい音ではなく、カツカツとかコンコンと言った、いかにも空っぽな音である。しかも、壁ではなくて廊下を歩く音がこうした音である。
そう、木造でこれらのビルができている!しかも2×4である。ただし日本の2×4とは違い、面材は最低でも12mmである。こうした構造はなんと言っても面材の厚さが強度の差としてでやすい。だから、こうした中層のビルまで木造2×4で建設が可能なのである。
単純に言えば、日本人ほどコンクリートが好きな民族はいないかもしれない。
昔読んだ本に「犬と鬼」と言う本があった。四国と京都の民家に住んで、日本びいきで有名でもあったアレックス・カー氏の本であるが、大変示唆に富んだ本であった。そのタイトルの謂われから面白かった。
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2010年01月23日
アメリカの住宅を見てきた・・・22
見て回った不動産物件は、戸建てばかりではない。集合住宅も見た。最初に見たのは、特に小ぶりの住宅である。日本式に表現すれば1LDKとでも言おうか。この物件も、競売にかけられていると言うから、まさに所有権としての売買物件である。いわゆるサブプライムローンの破綻を受けて、住宅価格の下落の渦の中であるから、当然のように安くなった値段で売られている。ただし、結局損をするのは銀行であると説明を受けた。
この辺が、まさに日本の仕組みとは違う。モーゲージであるから、基本的には現実的な損をするのは担保に取った銀行なのである。銀行は損をしてでも、処分してしまった方がよいと判断していると言う。だから売られている値段であれば、すぐにも買い付けが入るであろうと説明していた。
かと言って、もちろん購入者がそのままなにも損をしないわけではない。いわゆる禁治産者のようにローンなどの自由を奪われるのである。アメリカのようなクレジットの社会では、これはこれで個人としては相当な痛手ではある。しかし、日本の個人補償とは違い、ましてや生命保険と連動してもいないので、命まで取られることはない。
また、こんな小さな家にも暖炉があることにも驚いた。F・L・ライトは、日本の床の間を欧米の暖炉と比較したという話を聞いたが、日本でいえば本当に小さな家にも床の間があるようなものである。でも、そういえば日本の家はその様にできていた。文化が失われたのは日本であって、アメリカでは家庭の象徴はこんな小さな家にも残っている。
この小さな家に、住んでいた人のほんのわずか数ヶ月前までの生活が、何となく想像できるような気がして、こういう中古物件を見るのは忍びないような気持ちになった。
目を転じて、家の造りを観察してみた。もちろんこれくらいの集合住宅は2×4でできている。これより驚きの建物を見るので、構造については次の手記に書くことにする。
それよりもおもしろいと思ったのは、この家の寸法である。
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この辺が、まさに日本の仕組みとは違う。モーゲージであるから、基本的には現実的な損をするのは担保に取った銀行なのである。銀行は損をしてでも、処分してしまった方がよいと判断していると言う。だから売られている値段であれば、すぐにも買い付けが入るであろうと説明していた。かと言って、もちろん購入者がそのままなにも損をしないわけではない。いわゆる禁治産者のようにローンなどの自由を奪われるのである。アメリカのようなクレジットの社会では、これはこれで個人としては相当な痛手ではある。しかし、日本の個人補償とは違い、ましてや生命保険と連動してもいないので、命まで取られることはない。
また、こんな小さな家にも暖炉があることにも驚いた。F・L・ライトは、日本の床の間を欧米の暖炉と比較したという話を聞いたが、日本でいえば本当に小さな家にも床の間があるようなものである。でも、そういえば日本の家はその様にできていた。文化が失われたのは日本であって、アメリカでは家庭の象徴はこんな小さな家にも残っている。
この小さな家に、住んでいた人のほんのわずか数ヶ月前までの生活が、何となく想像できるような気がして、こういう中古物件を見るのは忍びないような気持ちになった。
目を転じて、家の造りを観察してみた。もちろんこれくらいの集合住宅は2×4でできている。これより驚きの建物を見るので、構造については次の手記に書くことにする。
それよりもおもしろいと思ったのは、この家の寸法である。
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