2010年02月13日

アメリカの住宅を見てきた・・・25

 ラスベガスの住宅視察は終わった。この次は、ロスへの移動となる。ここで、ラスベガスという街を、もう一度振り返える。なんと言っても、この地がアメリカを象徴するのであるから。

 ラスベガスは、新しい街である。そしてアメリカも新しい国である。日本の歴史を誉め称える気はないが、この地には歴史はない。いや、正確に言うと、近年の歴史しかない。

old_LV_street ラスベガスを去る前に、古いメインストリートを訪れた。住宅ではないが、街を見るのも大切であろう。この古いラスベガスを見ても、感じるものがある。
 他愛のない話であるが、良くテレビでは見るセダンの車が長くなったようなリムジンカーというのにも乗ってみた。
 
 古いラスベガスは、やはりちょっと趣が違う。それが何かは、すぐにはつかみかねた。とにかくこれまでの風景よりも古臭い感じがする。かといって、全く古い設備ばかりということではない。最新式のイルミネーションも導入されている。言いえているかはわからないが、電飾の色が違うような気がした。建物も古い。そして建物にはテーマが設定されていない。
 それはそれで、良い雰囲気に感じる。しかし古い街のイルミネーションは、痛々しいほどにエネルギーを使っていて、環境時代の現代には反逆児のように見えた。

 冷めた目で見ると、古いラスベガスのカジノがパチンコ屋の延長に見えてきた。そう、街そのものがパチンコ屋だ。一度そのように想起されてしまうと、新しいラスベガスも大差ないと思えてきた。
 パチンコ屋の街並みは機械に向かっている時だけではなく、ただ歩いていても雰囲気に浸れるようになっている。その意味では、娯楽施設が高じてアトラクションになった。アメリカを象徴するディズニーランドのアトラクションも同じ要素を持っている。乗り物に乗る時間よりも、並びながらそのアトラクションのプロローグを味わうことが大切なのである。
 カジノはお金を賭けてるスリル感がある。しかし、これを味わうのが怖い人も多かろう。そこで、ラスベガスのカジノには、1〜2セントから賭けられるスロットが置かれている。その機械と損料を考えても、採算が合うはずがない。これもアトラクションとしての仕掛けである。賭けるのが嫌いな人の為に雰囲気が味わえる配慮がしてあるのだ。街全体はもちろん、こうした仕掛けがラスベガスを特別なものにしているのだと思う。日本円にしても1〜2円であって、賭事としては、まさに疑似体験である。それでも本物のラスベガスを楽しんだことになる。
 改めて、真贋の論議が日米の差違に感じてきた。



 結局、アトラクションを含め、しょせん偽物だ。それでいて中途半端な偽物ではなく、本物の偽物である。これを偽物ととるかとらないかで大きな違いがある。本物ではないと分かっているが、偽物と本物と区別する必要がないというのも、偽物ではないと言うことである。偽物でも本物のように楽しめているのだから。アメリカは偽物を問わない。

old_LV_hoetel


 古いラスベガスは、新しいラスベガスに生まれ変わっているが、どこが違うのか。先にも書いたが、各ホテルごとにテーマやストーリーが描かれているのが違う。結論はこのことに尽きると思えた。しかもそのテーマやストーリーには、新しいもの故に歴史的な内容を好む。真っ白なキャンバスに描くには、歴史がある分、いろいろな要素を利用することができるから。新しいラスベガスを造るのに、古いラスベガスの仕掛けにディズニーのアトラクションテクニックが加わったのである。しかも偽物を問わない。拳で叩いてみれば中空の偽物であっても、見た目に十分楽しめればそれで良いのである。
 このことが結果的には楽しむということにつながってきた。偽物談義をしているうちは、楽しむことなど二の次である。本物にこだわる人は下手をすると「くだらん!」と言って楽しみを閉ざしてしまう。

 考えてもみれば、本当に本物などあるのだろうか。床の間だって、押板の簡易版として生まれたという。つまり偽物が起源である。歌舞伎も数寄屋も「傾き」「好きもの」で、世の中の本道とは違うことを始めて生まれた。茶道の始まりには、正座の姿勢はなかった。つまり作法は変遷の中から生まれたのである。変化があるからこそ培われるものがある。そして変化があるときには、必ず偽物の談義が生まれる。

 結果的には、この偽物感をこの後のロスの見学で再発見することになる。



tariru0127 at 10:57│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!アメリカ住宅視察 

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