2010年04月24日
アメリカの住宅を見てきた・・・32
プラヤビスタの住宅は、いわゆるマルチファミリー向けの住宅である。つまり、新しい集合住宅の街として開発されたものである。4〜5階建てのビルのように見える、カラフルなパステルカラーのモダンデザインの集合住宅が並んでいる。

例によって、拳の先で叩いてみた。期待通りの軽い音である。
シングルファミリー、つまり一戸建ての住宅ではないこの事例の中で、真っ先に目を付けたのは、街づくりとしての外溝工事である。
歩道は、当初の話に書いていたように、コンクリート板である。この新しい町の道路の作り方をみている内に、コンクリート板と現場打ちの使い方が分かってきたような気がする。いちばん単純なのは歩道と横断歩道の接点、つまり歩道の端である。道路には角切りがしてあるので、四角く収まっていない。その上、車道と歩道の段差があるので、平らなコンクリート板では納められない。
通常の歩道はコンクリート板であるが、こういう単純に板をおけない場所では現場打ちのコンクリートが使われている。湿式で作るのだからどうにでもなる。その上コンクリート板と色合いもしっかり揃っている。異種の材料を組み合わせた感じがしない。
しかもこの仕上げが洒落ていた。どうせ湿式であるから、最後を刷毛引きとしているのだが、この刷毛の動きを使って青海波の模様を描いているのである。最後の職人の手間だけど気持ちを感じた。

例によって、拳の先で叩いてみた。期待通りの軽い音である。
シングルファミリー、つまり一戸建ての住宅ではないこの事例の中で、真っ先に目を付けたのは、街づくりとしての外溝工事である。
歩道は、当初の話に書いていたように、コンクリート板である。この新しい町の道路の作り方をみている内に、コンクリート板と現場打ちの使い方が分かってきたような気がする。いちばん単純なのは歩道と横断歩道の接点、つまり歩道の端である。道路には角切りがしてあるので、四角く収まっていない。その上、車道と歩道の段差があるので、平らなコンクリート板では納められない。通常の歩道はコンクリート板であるが、こういう単純に板をおけない場所では現場打ちのコンクリートが使われている。湿式で作るのだからどうにでもなる。その上コンクリート板と色合いもしっかり揃っている。異種の材料を組み合わせた感じがしない。
しかもこの仕上げが洒落ていた。どうせ湿式であるから、最後を刷毛引きとしているのだが、この刷毛の動きを使って青海波の模様を描いているのである。最後の職人の手間だけど気持ちを感じた。
コンクリート板は平面的、断面的に平らでないところには使われない。これは極めて単純なことである。しかし、この単純なことができないし、材質を揃えるが為に、また新たな複雑さを生み出し面倒な工事を考えてしまうことが多い。しかし、彼らの方が発想が単純であり、合理的なのである。たとえば、次のような発想である。
平らな所に適してコストが安くなるのであれば、なるべく平らに均した方がよい。これは確かに真理である。しかもそうした方がすっきりとしてシンプルになり、デザインも洗練されそうな気がする。
ところが、アメリカの街づくりの中にとられている手法は違う。
すべてを平らに仕上げるには、当然それらの下地もしっかりレベルをあわせなければならない。そうするためには技術もいるし、またコストもかかる。たとえば簡単なマンホールの蓋も、しっかりとレベルを揃えるためには、その下の配管から精密に作るのはもとより、途中のジョイント部でも調整が必要である。
ところがこの街で見つけた蓋は、早い話が歩道の上のレベルを揃えるようなところには作っていないのである。脇の植栽の中に見つけることができる。それが美しいかはもう一度語ることにして、少なくともこの蓋の材が歩道に見えないことは美しいと感じた。さらにこうした蓋も、それなりにどこかしらにレベルを揃えるものである。しかし、そんなこともしていない。もちろん蓋は水平についていないといけない。日本であれば、周りをコンクリートで固めてしまうところであろうが、そんな無粋なことはしていない。
なんだ、これだけのことで良いのかと、デザインにもコストにも、肩の荷が下りたような気がした。
