2010年05月01日
アメリカの住宅を見てきた・・・33
本物と偽物の差は、今回のアメリカの家をみてきた旅行の一番のテーマになってきた。ただしますます正直本物と偽物とどちらが良いのかは分からない。混迷してきた。

もっと猛反省をしたならば、本物を語ることが害になっていることも多い。
かと言って、本物を否定することはできない。問題は誰でもがあたかも本物を知っているかのように語ることがいけないのである。単純に本物を語ることができるのは、1%にも満たない人だけではないだろうか。何十年もその道を極めてきた人である。建築の世界が、50歳でやっと駆け出しと言われるのもそのためだ。
そう考えるほどに、まだまだ自分には純粋な本物を語る資格はなく、むしろ偽物の受け止め方を語る方がふさわしい。幸いにもアメリカの家を見る機会はその意味で、大変勉強になったことになる。本物がどのように作られているかは分からないが、真贋を問わず、ちょっとした工夫で深い印象を与えてくれるものである。たとえ本物でなくても、印象深い作りが散見できるのである。
プラヤビスタの街づくりでは、植栽の計画にも感心することが多かった。新しい街なのに、何となく古さを感じさせるのである。しかもラスベガスで回った、インターロッキングによる歪んだ道路面とは違い、これらが植栽で感じさせられると気づかされた。

もっと猛反省をしたならば、本物を語ることが害になっていることも多い。
かと言って、本物を否定することはできない。問題は誰でもがあたかも本物を知っているかのように語ることがいけないのである。単純に本物を語ることができるのは、1%にも満たない人だけではないだろうか。何十年もその道を極めてきた人である。建築の世界が、50歳でやっと駆け出しと言われるのもそのためだ。
そう考えるほどに、まだまだ自分には純粋な本物を語る資格はなく、むしろ偽物の受け止め方を語る方がふさわしい。幸いにもアメリカの家を見る機会はその意味で、大変勉強になったことになる。本物がどのように作られているかは分からないが、真贋を問わず、ちょっとした工夫で深い印象を与えてくれるものである。たとえ本物でなくても、印象深い作りが散見できるのである。
プラヤビスタの街づくりでは、植栽の計画にも感心することが多かった。新しい街なのに、何となく古さを感じさせるのである。しかもラスベガスで回った、インターロッキングによる歪んだ道路面とは違い、これらが植栽で感じさせられると気づかされた。
それこそアメリカという国土の広さからか、車道も広くてうらやましくも感じる。歩道を歩くとこれまでの街のようにコンクリート板の歩道は簡素で良いと思う。
しかし、正直言うと歩道面は人がようやくすれ違えるほどの広さである。決して広いとは言えない。さらに歩道から建物までの距離感は、道路の解放感に比べると少し狭く感じた。やはり車社会で、自動車の方が優先されているのであろうか。また、日本では敷地内に空地を作ると容積率の緩和などがあるが、そのような手だてはないものと思うほどに揃えて道路にせり出しているようにも感じる。

古く見せる手法として着目したのは、大きな植栽が建物ぎりぎりに植えられていることである。それほど古くないと思われるのに、枝先はすでに建物と接触している。このサイズの幹周りの樹としては、無謀なほどに建物に近い。おそらく雨が少ないからできるのであって、日本で同じように植えたら、外壁に苔でも生えて汚れてしまうに違いない。それでも、ずいぶん昔から植えられていて、生長するうちに建物に寄り添うように見える。
もう一つは、植栽の植えられている面が、水平になっていないことにも着目した。いわゆる地表を覆う植物を上手に使っているのである。以前に訪れた街は、元の地形をうまく利用している感じがあったが、ここでは元来平坦な風景であり、むしろ故意に斜面にしているとしか思えない。水平にするよりもより自然であり、アメリカの造園のセンスは決して自然と対峙するものばかりではないことを感じさせられた。
さらに、植栽の種類も実に豊富である。椰子はこの地域の定番であり、混在していても全体としては違和感がなく感じた。
中でも、笹が意外と多く使われている。
私たち日本人が使っても、どちらかと言うと和風に使うことが多いのだがまったく躊躇なく、普通に使われている。むしろ葉の形などは小さいものがあったり、思わず日本に持ち帰りたいと思ったほどだ。
これだけ勉強になればと、少し満足した。
しかし、正直言うと歩道面は人がようやくすれ違えるほどの広さである。決して広いとは言えない。さらに歩道から建物までの距離感は、道路の解放感に比べると少し狭く感じた。やはり車社会で、自動車の方が優先されているのであろうか。また、日本では敷地内に空地を作ると容積率の緩和などがあるが、そのような手だてはないものと思うほどに揃えて道路にせり出しているようにも感じる。
古く見せる手法として着目したのは、大きな植栽が建物ぎりぎりに植えられていることである。それほど古くないと思われるのに、枝先はすでに建物と接触している。このサイズの幹周りの樹としては、無謀なほどに建物に近い。おそらく雨が少ないからできるのであって、日本で同じように植えたら、外壁に苔でも生えて汚れてしまうに違いない。それでも、ずいぶん昔から植えられていて、生長するうちに建物に寄り添うように見える。
もう一つは、植栽の植えられている面が、水平になっていないことにも着目した。いわゆる地表を覆う植物を上手に使っているのである。以前に訪れた街は、元の地形をうまく利用している感じがあったが、ここでは元来平坦な風景であり、むしろ故意に斜面にしているとしか思えない。水平にするよりもより自然であり、アメリカの造園のセンスは決して自然と対峙するものばかりではないことを感じさせられた。
さらに、植栽の種類も実に豊富である。椰子はこの地域の定番であり、混在していても全体としては違和感がなく感じた。
中でも、笹が意外と多く使われている。私たち日本人が使っても、どちらかと言うと和風に使うことが多いのだがまったく躊躇なく、普通に使われている。むしろ葉の形などは小さいものがあったり、思わず日本に持ち帰りたいと思ったほどだ。
これだけ勉強になればと、少し満足した。
